GHQが強制した教育基本法:戦後教育は歪められた
[戦後教育を歪めた GHQ主導の教育基本法](明成社)を読み、自国の憲法や教育基本法でさえGHQに与えられて、NOといえない属国の悲しみを知りました。そして、GHQ版教育基本法を、私達の手で全面改定すべきと思いました。是非、原書をお読みいただければと思う次第です。
日本は無条件降伏したわけではなく、ポツダム宣言には“言論の自由”、“信仰の自由”、独自政府の樹立の権利が与えられていました。しかし、連合国は日本軍の武装解除と共に、無条件降伏を強制したのです(⇒
世界が裁く東京裁判参照)。その結果が、GHQ製の日本国憲法であり、教育基本法だったのです。本書を読むと、日本側が自虐的にGHQに平身低頭している姿が読み取れます。それは、白村江の戦いで唐軍の支配を受け入れた当時に似ています(⇒
「白村江」参照)。唐の力が衰微した後、天武天皇により改革が断行されています。
ところが、GHQが去った後も日本の教育が自虐史観に支配されているのは、GHQの日本支配を完成するために国民への洗脳及び教育システムを無秩序に(「教育の責任が不明確」「教員に教育が委ねられている」「親の教育権が不明確」「国が自国の教育に口出しできない」「愛国心なき自虐史観が定着」「宗教道徳教育の否定」など)改悪してしまった。しかも、GHQの置き土産である左翼革命を目的とする日教組に教育現場が牛耳られているからなのです。この日本の状況は、自虐史観で苦しんでいた英国、教育界の荒廃に苦しんでいた米国とそっくりなのです。しかし、英国はサッチャー首相により教育改革が断行され、英国は甦りました(⇒
「英国教育改革」参照)。また米国は強いアメリカを目指したレーガン改革により甦りました(⇒
「アメリカの基本に返れ運動」参照)。(尚、色付け、下線等は、管理者による)
発刊によせてより抜粋
平沼赳夫(元経済産業大臣、たちあがれ日本党首)
自民党本部ホールにて「教育基本法改正の実現を目指す緊急国民集会」を開催し、与党案に対して少なくとも次の三つの修正を行うよう求めました。
- 「教育の目標」の中にある「愛国心」について、「国を愛する…態度を養う」という表記を、「国を愛する心を養う」に改めること。
- 「宗教教育」の項目に、「宗教的情操の滴養は、道徳の根底を支え人格の基礎となるものであることにかんがみ、教育上特に重視するものとする」との条文を追加すること。
- 「教育行政」の項目の、日教組の偏向教育の法的根拠となつてきた「不当な支配に服することなく」という一節を削除すること。
教育基本法は日本国憲法と一体である。その前文には『われらは、さきに、日本国憲法を確定し…日本国憲法の精神に則り…この法律を制定する』という記述がある。従って教育基本法も、憲法と同じ目的で作られたのです。にもかかわらず、その成立と占領軍との関係は、これまで必ずしも明らかにされてきませんでした。
それだけに最新の研究成果を踏まえ今回、占領軍(GHQ)主導で教育基本法が制定された経緯がまとめられたことは、実に意義深いと思います。より良い教育基本法に改訂するためにも、戦後教育史についての正しい理解が不可欠だと信じるからです。
GHQ製教育基本の法批判
〜日教組に乗っ取られた日本の教育〜
◆教育基本法は日本人が自主的に制定したのか
昭和二十年八月十四日、我が国は「ポツダム宣言」を受諾し、大東亜戦争(太平洋戦争)に敗北した。その後、九月二日に連合国との停戦協定に調印した我が国は、戦勝国である米国の占領下に入ることになった。
米国は直ちにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)を設置、昭和二十七年四月二十八日まで実に六年半にわたって我が国を占領し、政治・経済・家族・教育・地域制度などあらゆる面で徹底した社会改造(米国の属国化、もしくは社会主義革命を誘発させる)を行った。
その代表例が、GHQが作成した日本国憲法を、あたかも「日本人の手で制定したかのように」強制したことである。現行憲法がGHQによって強制されたことは、当事者たちの証言もあって、いまや周知の事実となっている。しかし、教育基本法は日本人が自主的に制定したものと受け止められてきた。教育基本法案を作成したのは、日本人の有識者約五十名によって構成された「教育刷新委員会」とされている。
この委員会の副委員長、更には委員長を務めた南原繁東大総長は講和独立後の昭和二十九年、占領政策の是正を求める国民世論を念頭に、次のように発言している。
終戦後の教育改革はアメリカの教育使節団によつて強制されたものであるから、今日日本が独立した以上はこれを再改革すべきだということが一方に流布されておる。もしもそれが理由であれば、それは真実をいつわるものといわなければなりません。(昭和二十九年一月、日教組第三回全国教研大会特別講演「民族の独立と教育」)
米国教育使節団というのは、昭和二十一年三月にGHQの招請で来日したアメリカの教育関係者たちのことを指す。彼らは約一ケ月間、日本各地を訪問、日本の教育関係者と懇談し、日本の教育改革の方向性を示す
『米国教育使節団報告書』を書き上げた。この『報告書』は後に、占領下の教育改革のバイブルとなった。
ところが、
南原東大総長は、我々教育刷新委員会は、確かに『報告書』を参考にはしたが、あくまで改革の方針を決めたのは我々だ、と主張したのである。加えて、翌昭和三十年にも、南原東大総長はこう断言した。
わが国の戦後の教育改革は、教育刷新委員会を中心として、これら政府当局者の責任においておこなわれただけである。(中略)私の知る限り、その間、一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった。少なくとも教育刷新委員会に関する限り、すべては、われわれの自由の討議によって決定した(朝日新聞社編『明日をどう生きる』昭和三十年)
「一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった」との発言は、教育基本法作成に携わった教育刷新委員会委員長の発言として当時、大変な重みを持った。そして、「南原東大総長がここまで力説しているのだから、教育基本法は憲法と異なり、日本人の手によって自主的に作られたのだろう」という通説が確立されることになった。
昭和二十七年の講和独立後、いまの憲法はGHQに押し付けられたものであるから、独立国家として憲法改正運動が巻き起こった。その改正運動は政府を動かし、「憲法調査会」設置へと発展し、今日の憲法改正運動につながっている。
一方、教育基本法については、南原氏の「自主制定論」によって、「独立国家としての誇り」に基づく「政府調査会」設置へと発展する改正論はついに起こらなかった。しかし、教育基本法は南原氏が指摘したように、日本人が自主的に作成し制定したものではなかったのです。
◆四大指令によって解体された日本の教育
GHQは日本を占領すると直ちに、昭和二十年十月から十二月にかけて、教育に関して次の「四大指令」を発している。
- 第一指令「日本教育制度に対する管理政策」に関する指令(十月二十二日)
- GHQは、文部省に対してGHQの指令に従って政策を実施し、その結果を報告するよう命令している。文部省は、GHQの下部機関になったのである。
- 第二指令「教員及び教育関係者の調査、除外、許可」に関する指令(十月三十日)
- 文部省に対して、教職員と官僚の思想傾向を調査し、「軍国主義的または極端な国家主義的傾向」を持つ教職員、及びGHQの政策に反対する教職員や官僚を解雇し、公的機関への再就職を禁じることを命じている。この指令によって、全国約九十五万人の教職員や官僚が「適性検査」を受け、このうち三千人が失格となり、全国の教職員の実に二十二%、約二十万人が退職勧告を待たずに自主的に辞職した。気骨のある文部官僚や教職員は辞職させられ、残った文部官僚と教職員はGHQの指示に服従を強いられることになったのである。
- 第三指令「神道指令」(十二月十五日)
- 学校での神道行事の禁止だけでなく、我が国における神道の意義などについても一切教えることを禁止され、かつ皇室や日本の歴史・伝統の素晴らしさを教えることも禁止された。
- 第四指令「修身、日本歴史及び地理の停止」に関する指令(十二月三十一日)
- 道徳教育としての「修身」と、「歴史」と「地理」の授業を、GHQの許可が下りるまで停止させられた。日本人としての自覚を育む「道徳」や「歴史」、そして「世界の中の日本」と「郷土」への理解を育む「地理」を禁止することによって、日本人としてのアイデンティティを青少年に継承することを禁じた。
この四つの指令によって、文部省も教職員もGHQの指示に服従を強いられた一方、江戸時代来築き上げてきた我が国の学校教育は解体され、先生たちは何を教えていいのか、途方に暮れることになる。
ちなみに南原東大総長は「一回も総司令部から指ヽ今や強制を受けたことはなかった」と断言したが、総司令部つまりGHQがこれら四つの指令によって我が国の教育を解体したことは厳然たる「事実」である。
◆自主的な教育改革を否定したGHQ
GHQは自らの政策に迎合する日本人グループの形成に取り掛かる。昭和二十一年一月九日、「米国教育使節団を受け入れるため」という名目で、GHQは日本側に「日本教育家の委員会」を作るよう指示したのである。その委員長に就任したのが、前述した南原氏であった。
熱心なプロテスタントであった南原氏だが、戦前から愛読書として旧約聖書とともにマルクスの『資本論』を挙げるなど社会主義に強いシンパシーをもっていた。内務省に入省した南原氏は大正八年、日本最初の労働組合法を立案、大正九年にはソ連の指導者レーニンの『国家と革命』を翻訳させ部内資料として出版している。大正十年に東大助教授に転身、その弟子には、戦後の進歩的文化人の代表格であった丸山東大教授や、日本の戦犯を追及すべく、中国人による対日戦後補償裁判を支援した土屋公献元日弁連会長がいる。
この南原氏を中心に進歩的文化人たちが結集した「日本教育家の委員会」は、三月五日に来日した米国教育使節団を受け入れ、戦前・戦中の日本の教育政策を非難する「報告書」の作成に協力している。その後、この委員会のメンバーが中心となって昭和二十一年八月十日に新設されたのが、教育刷新委員会(委員長、安部能成元文相)なのである。
◆リモート・コントロール
協力者として刷新委員会を作り上げたGHQは、教育改革の主導権が文部省ではなく刷新委員会にあることを再確認すべく、密室会談を主催する。
GHQの教育改革を担当していた民間情報教育局(CIE)は昭和二十一年九月四日、文部省の田中耕太郎文相、山崎匡輔文部次官、教育刷新委員会の安倍委員長、南原副委員長を集め、下記の方針を提示した。
@刷新委員会は、文部省から完全に独立する。
A文部省は、刷新委員会が提案した政策を実行する。
B刷新委員会と文部省、CIEの連絡調整のために「連絡委員会」を設置する
「刷新委員会が方針を決定し、文部省はそれに従え」と命じられた田中文相は、「文部大臣が原則について何も決定できないなら、議会での質問に対する答弁も困難だ」と抵抗するが、南原副委員長はCIEの方針に全面的に賛同し、文部省は刷新委員会の下請けに過ぎないことが決定される。
では、南原氏が指摘しているように、刷新委員会がGHQから干渉されることなく教育改革の方針を作成できたのかと言えば、そうではなかった。
注目してほしいのは、Bの「連絡委員会」の設置である。日本側の文献では「連絡委員会」と呼ばれるが、英語直訳は「舵取り委員会」となる。
その狙いを、アメリカのハリー・レイ教授は、次のように説明している。
CIEは連絡委員会を通して、教育刷新委員会を米国教育使節団の報告書の枠内で指導し、文部省に教育刷新委員会の提案を受け入れさせることが可能になった。ステアリング・コミッティーは日本語で「舵取り委員会」とも訳される通り、教育刷新委員会の「独立」の陰に隠れて、CIEが日本側をリモート・コントロールする送信機のようなものであった。(『戦後教育改革通史』明星大学出版部、平成五年)
■GHQ:第一の介入−「愛国心」の排除
戦後の教育改革の主導権を政府・文部省から、リベラル派の進歩的文化人による「刷新委員会」に握らせ、かつ同委員会を「舵取り委員会」を通じて背後からコントロールするという仕組みを構築することに成功したGHQは、いよいよ教育基本法制定に着手することになる。
教育基本法制定に初めて言及したのは田中耕太郎文相だった(昭和二十一年六月二十七日、衆議院)。しかし、それをもって教育基本法は日本側の発案だったと断言することはできない。義務教育の無償化や男女平等を謳った日本国憲法の制定に伴い、田中文相の意志とは関係なく、それまでの教育関係法規は全面的に書き換えなければならない状況に置かれていたからである。
言わばGHQによって日本国憲法を押し付けられた段階で、教育基本法を制定せざるを得なかったわけで、真の発案者はGHQと言ってよい。
注目すべきは、この要綱案に「愛国心の涵養」という趣旨がなかったことだ。
実は明治二十四年に公布された文部省令の「小学校教則大綱」の第二条には、「尋常小学校二於テハ(中略)殊こ尊王愛国ノ志気ヲ養ハントスルコトヲ努メ」と、愛国心の涵養が明記されていた。
ところが、GHQは日本占領直後の昭和二十年九月十日から、事前検閲という形で言論統制を始めていた。当初はラジオ放送や新聞、雑誌だけだったが、やがて一般国民の手紙や教科書まで検閲の対象となる。二十一年二月四日には、CIEが教科書検閲の基準を設定し、軍国主義、超国家主義のみならず、愛国心が欠落した要綱案に異議を唱えた人もいた。刷新委員会第一特別委員会では、
天野貞祐二尚校長(のち文相)が「ただ自分のために生きるのではなくして、社会国家の為に生きるとか、何かそういうものを入れたいと思う」と主張したが、
東京文理科大の務台理作学長(日教組の「教師の倫理綱領」作成に協力)が「個人を犠牲にせず、個人の自由をあくまでも尊重する(中略)そういう精神に教育の理念が基づくべき」と反論、これに社会党の森戸辰男議員(のち文相。日教組と提携)が賛同したため、「国の発展に尽くす」という趣旨は完全に消えることに、なつたのである。結局、「愛国心」なき「個性尊重」に改悪された。
■GHQ:第二の介入−「両性の特質を無視した男女平等」
CIEのジョセフ・トレーナー教育課長補佐は、刷新委員会の事務局を担当していた文部省の関口隆克審議室長を呼び出した。トレーナーは、舵取り委員会つまりGHQの了承なく、文部省が刷新委員会に「教育基本法要綱案」を出したことを取り上げ、「文部省が議会に提出する諸法案は、CIEの承認を得なければならない」と詰問、関口室長は「今から、あらゆる問題を舵取り委員会に提出する」と改めて約束する。
CIEがまず問題にしたのは、「男女共学」の項目だった。
CIEは男女共学について積極的な言及を行うよう要求、これを受けて関口室長は「男女はお互いに敬重し、協力し合わなければならないものであって、両性の特性を考慮しつつ同じ教育が施されなければならないこと」という案を持参するが、文部省案の「両性の特性を考慮しっつ」という文言はCIEにより削除されてしまう。もし教育基本法に「両性の特性を考慮」という文言が残っていたならば、現在問題となっているジェンダー・フリー教育はこれほど横行することはなかったと思うと、大きな禍根を残したといえよう。
■GHQ:第三の介入−教育行政に「不当な支配」
〜教育基本法第十条「国家の責任と権限の分散」〜
十一月二十九日の刷新委員会第十三回総会に提出された要綱案には、「
教育行政は、学問の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならないこと」とあった。刷新委員会はこの表現で合意していたのだが、トレーナーは「教育の自主性の尊重」という表現を問題視し、修正を要求した。
文部省に案を作らせても満足できる表現が出てこないことにしびれを切らしたトレーナーは自ら英文で要綱案を作成、十二月十三日、教育行政の項目は「
教育は、政治的又は官僚的な(不当な)支配に服することなく、国民に対し独立して責任を負うべきものである」という表現に変えるよう、文部省に通告したのである。
その後も、この教育行政の表現をめぐつてCIEと文部省による密室会議は続き、翌二十一年一月十五日実に「不当に」という言葉が追加され、最終的に現在の表現になつたのである。今回の教育基本法改正でも焦点となった「不当な支配」という表現は、CIEによって強制されたものであったのだ。
結局、教育内容に対して国が関与することが「不当な支配」に該当するという教育行政の仕組みに改悪されたのです。
教育行政に関する「国家の責任と権限」は、都道府県教育委員会、市区町村教育委員会、各学校、そして各教師へと分散させられ、国家の教育に対する責任の不明確、更には無責任の状態が生まれているのである。
その結果、何か問題が起こると、「それは現場教師の責任だ」、「いや、校長の責任だ」、「学校を管理する教育委員会の責任だ」、「そもそも文部科学省が悪い」という形で責任の擦り付け合いが起り、結果的に誰も責任をとらない構図が続いてきたのである。その最大の犠牲者は、子供たちである。
しかも、この教育基本法第十条は、米国教育使節団『報告書』の「教授の内容と方法を(中略)教師の自由に委せられるべきである」という一節と関連つけて解釈された。つまり、文部科学省は教育の諸条件の整備、すなわち校舎を建てるとか運動場を作るといった環境整備に集中すべきであり、教育内容は「教師の自由」に委ねられるべきである、と曲解されてきたのである。
その結果、国旗国歌指導を始めとする教育内容について文部省が積極的に関与できない仕組みが生まれ、その間隙をつく形で、学校現場での教育内容は、日教組などによって支配され、歪められてきたのである。
残念ながら、責任の所在を曖昧にしてきた「教育は、不当な支配に服することなく」との一節がそのまま残されている。2005年5月からの耐震偽装問題でいま、住民の安全にかかわる問題を放置してきた国の責任が問われている。であるならば、日本の未来と子供たちの将来にかかわる教育に対しても、国はきちんと責任をとるべきではないだろうか。
■GHQ:第四の介入−「伝統を尊重」を削除
刷新委員会総会に提示された要綱案では、前文に「普遍的にしてしかも個性ゆたかな伝統を尊重して、しかも創造的な、文化をめざす教育が普及徹底されなければならない」と明記されていたが、トレーナーは「伝統を尊重して」という言葉の削除を命じた。当時の通訳が「
伝統を尊重するということは、再び封建的な世の中に戻ることを意味する」と述べたからだ、と明星大学の高橋史朗教授とのインタビューでトレーナーはその理由を説明している。
■GHQ:第五の介入−「宗教的情操」を削除
要綱案では、宗教教育について「宗教的情操の涵養は、教育上これを重視しなければならない。但し官公立の学校は、特定の宗派的教育及び活動をしてはならないこと。」と規定されていた。この表現は、社会党の森戸委員でさえも合意した案であり、宗教的情操の涵養が重要だという認識は、社会主義者も含め当時の日本人全体の総意であったのである。
ところが、CIEは「宗教的情操の涵養」を削除し、「社会における宗教生活の意義と宗教に対する寛容の態度は、教育上これを重視しなければならない」に差し替えるよう日本側に要求した。
しかも「宗教に対する寛容の態度」という表現は、「無神論者に対する寛容を含む」と解釈されることになったため、宗教を敵視する無神論(つまり社会主義、共産主義)を奉じる児童・生徒に配慮して
事実上、学校教育において宗教に関する教育はすべて禁止されることになってしまったのである。その結果、伝統的な死生観や慣習を学校教育で教える法的根拠が失われてしまったのである。
◆属国の悲しみ
CIEによって徹底的に改悪され、わが国の教育に大きな悪影響をもたらすことが予想される教育基本法を、日本人の手で作成した教育基本法だと偽って国会において成立させなければならなかった。この日高局長が味わった「属国の悲しみ」はその後語り継がれることもなく、忘れ去られてしまった。
無条件降伏をした国の代表者の一人として勝利者管理者たる占領軍に接するのであるから、われわれの常識も論理も進み来るローラーの前に生えている潅木のようにたやすく踏みにじられることがおりおりあった。「対等の関係ならば」断じて譲るものかと思う時にも相手の意志に屈服しなければならない時こそ、独立を失った祖国の運命をこの身にひしひしと感じないわけにはゆかなかった。これが私のここに言う属国の悲しみの基調である。(『教育改革への道』洋々社、昭和二十九年)
それは、「日本人によって教育基本法は作られた」かのように偽装したGHQを擁護して、「一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった」と虚言を弄した南原東大総長のような人物が戦後教育の中心にいたからだ。
講和独立後、GHQによる検閲がなくなってからも、事実とは異なることを知りながら、専門家たちによって誤った「教育基本法制定史」は流布され続けている。文部科学省もまた、教育基本法制定におけるGHQの介入に全く触れようとはしない。
しかし、「教育基本法制定史」観によって、わが国の教育の歪みが放置されてはたまらない。今からでも遅くはない。正しい「教育基本法制定史」観に基づいて抜本的に修正すべきだ。
幸いそのモデルは出来ている。超党派の「教育基本法改正促進委員会」(亀井仙人委員長)が既に、わが国の歴史と伝統に立脚し、「愛国心」や「宗教的情操の涵養」、「教育に対する国の責任」などを謳った、日本人のための新教育基本法案を作成している(下村博文編『教育激変』明成社)。
わが国の根幹を定める教育基本法の改正は、「属国の悲しみ」をもたらしたGHQの改悪を克服する方向で成し遂げられるべきである。(初出:『正論』平成十八年六月号 原題「やはりGHQ主導だった教育基本法制定」を加筆修正)
◆「日本を取り戻す」を社会常識へ!(2019/04/28〜30)
今年は、憲法九条の改正、スパイ防止法制定へ!! 『日本人の原点が分かる「国体」の授業 竹田恒泰著』から適当に抜粋しました。ぜひ手に取ってくださいますようお勧めいたします。
◇ ◇ 封印された日本の誇り
ではなぜ学校教育で建国の精神を学ぶことができないのでしょうか。その一つの鍵が教科書にあります。
たとえば幕末から明治に至る近代化の歴史について、明治天皇に触れない教科書は多くあります。明治天皇を語らずに、いったい明治時代の何を教えようとしているのでしょうか。あるいは古代についても日本の視点ではなく、中華帝国を軸に語られる傾向があります。普及している中学の歴史教科書には、建国の精神はおろか、建国の経緯も書かれていません。それどころか、通読してみても、日本人の誇りを感じる記述がないのです。
教科書に、およそ日本人として最低限知っておくべきことが書かれていないのは、連合国の占領政策が原因です。GHQは日本人を精神的に骨抜きにするため、徹底した教育改悪に取り組みました。その柱が、教科書に厳しい検閲を課すことでした。(⇒[
GHQ検閲[1]]参照)
GHQの教科書検閲基準を見ると、背筋が凍るような思いをする人もいるはずです。GHQは次の五点を検閲対象として挙げ、教科書から徹底的に排除させました。
- 天皇に関する用語(現御神、現人神、上御一人、天津日嗣、大君など)
- 国家的拡張に関する用語(八紘一字、皇国の道、肇国の精神、天業恢弘な
- 愛国心につながる用語(国体、国家、国民的、わが国など)
- 日本国の神話の起源や、楠木正成のような英雄および道義的人物としての皇族
- 神道や祭祀、神社に関する言及、等々
第三項を見てください。「国体」という言葉はこのとき教科書に使うことを禁止されたのです。それ以来、教科書だけでなく、日本社会で「国体」の言葉が使われなくなりました。「わが国」という言葉も同じく使用が禁止されています。
日本神話や神道について教えることも禁止されました。そして何より「道義的人物としての皇族」を教えることができなくなったことは、日本にとっては痛手でした。二千六百余年、歴代一二五代に及ぶ皇統の歴史で、天皇や皇族の美しい話はいくらでもありますが、今では一つも教科書には記載されていません。
本来なら、サンフランシスコ平和条約が発効して、日本が国際社会に復帰した時点で、教育のあり方を議論し直す必要がありました。ところが実際は、占領期の教育方針が、その後も維持されてしまったのです。一度できた空気はそう簡単に変えることはできないのです。
今でこそ「教科書検閲基準」はありませんが、それでも亡霊のように残り続け、いまだに教科書の内容を縛り続けています。現在でもこの基準に沿った教科書作りがなされているのです。このようにして、日本人の誇りは封印されて今に至るのです。
戦後すでに七十年近くが経ちました。あと三十年この状態が続いたら、日本人の精神も完全に消え失せてしまうでしょう。一方で、日本からほぼ失われてしまったのが「歴史観」です。これはすなわち国家観といってよいと思います。建国の経緯や精神、日本の神話を知らず、国家を見る座標軸を持たないまま、多くの人が個人主義や拝金主義に傾いていました。
神話のなかには、日本人にとってとても大切な個性が残っています。神話を教えるだけで、子供たちは日本人の気質を備え、めきめきと日本を愛するようになると思います。日本が二千年以上の歴史を持ち、現存する世界最古の国家だという事実を中学生や高校生に教えると、びつくりして「日本ってすごい。日本人でよかった」などという反応が返ってきます。
大人たちが、何か一つ切っ掛けを与えるだけで、あとは自分で考えるようになります。歴史観・国家観の大切さを共有するだけでも、日本は大きく変わるのではないでしょうか。
否定された愛国心
〜教育現場の実態〜
いま、通知表における愛国心の評価が問題となつている。埼玉県下では、五十二の小学校が通知表の評価項目の中に「愛国心」の表記があることが判明し、マスコミで大きな問題になった。数年前、福岡県でも六十九の小学校で通知表の中に「愛国心」という評価項目が明記されていたが、在日朝鮮人グループの抗議によってその項目の削除を余儀なくされた。
通知表における「愛国心」評価の問題については今国会でもテーマとなつた。小坂文部科学大臣は、「我が国の伝統や文化等の学習内容について進んで調べたり、あるいは学んだことを生活に生かそうとする、そういう関心、意欲、そういった態度を総合的に評価するものでありまして、具体的に申し上げますと、歴史上の人物などに関心を持っているのか、あるいは、意欲的に調べ、学んだことをもとに、我が国の将来やその発展のために自分に何ができるだろうか、そういったことについて考えながら、追求しようとしているかどうか、そういったことを評価するものでありまして」と答弁している(五月二十四日、衆議院教育基本法特別委員会)。まさに小坂文科大臣の言う通りである。愛国心の評価は否定されることではない。
◆価値観混乱を示す「いただきます」論争
宗教に対する過剰とも言える反発は、日常の生活習慣レベルでも深刻な問題を引き起こしている。例えば、北陸地方のある公立小学枚において、給食の際に合掌することが「宗教的色彩がある」として保護者から批判され、中止になるケースが相次いだ。中止しなかった学校でも、「合掌、いただきます」を「気をつけ、いただきます」に変更した所があったという。
その影響か、平成十八年六月二十日付富山新聞によると、富山県内の高校生の半数が、食事の際に「いただきます」や「ごちそうさま」を言わないことが県の調査で分かったという。食と生活に詳しい富山短大の深井康子助教授(調理学、食物栄養学)は、「いただきます」「ごちそうさま」のあいさつは食べ物への感謝の意を示す大切な言葉であることを指摘したうえで、「あいさつは食事のマナーとしても欠かせないものであり、小さいときからあいさつの習慣を身につけるよう、家庭や学校で教え続けていくことが大切」と話している。しかし現実は、教育基本法の解釈が、自然の恵みに感謝する宗教的情操を涵養する機会を、子供たちから奪ってしまっているのである。
しかも、天地自然の恵みに感謝するという敬虔な心は、親の世代からも急速に失われてしまっている。最近、ある若い母親が、自分の子供が通う小学校に対して、「自分のところは給食費を払っているのだから、給食の時間にうちの子には『いただきます』と言わせないでほしい」と批判したという。このことを永六輔氏がラジオ番組で話題にしたところ、賛否両論の投書が数十通も来たが、何とそのうちの三割がその母親に賛成する意見であったという。
「ちゃんとお金を払っているのだから別に『いただきます』を言わなくてもいいと思う」、「言わなくて当然だ」といった内容で、中には、「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』を言ったら(自分の坐っている)隣のおばさんに『お金を払っているんだから店がお客に感謝すべき』と言われた」などという、開いた口が塞がらないような体験談もあったという。
永六輔氏もびっくりという感じで、番組で何度となく、「いただきます」の真意について、「『あなたの命(食前の食べ物の命)を私の命にさせていただきます』の最後の『いただきます』を言っているんですよと力説した。