27-a7.水の神 ドゴン族神話
ドゴン族の神話を検討すると、現代科学では想像もできない、知的生命体の進化の歴史が浮かび上がってきます。現在の我々の知っている生命の進化は、この知的生命体の双子の進化の後に繰り広げられたのでしたす。それでは、まずはその概要を分かりやすく説明した後、宇宙人が残した生命体の歴史を綴った「ドゴン族の神話」を紹介しましょう。
前1500年頃 ドゴン族にシリウス星人が文明を伝える。
ニビル星人の中で皇統から枝分かれした共和国の方々が、シリウス星人と名乗った。
- ドゴン族との交流
- 魚の宇宙服を着て、ドゴン族との交流があったのは二ビル星人で、古代(前十五世紀頃)にも地球を訪れていた、とミカエル様からお話が有りました。(二〇〇五年三月三一日記)
… ※つまり、ニビル星に定着したシリウス星人のことでしょう。二ビル星の統一王家とは別の二ビル星人という事になります。2019年3月24日
ついでながら、ニビル星人がロケットやヘリコプターを用いたのは、ロケットはニビルの地球近接地点から地球への往復の乗物であり、UFOは使用されていなかった。プレアデスとニビル間には何等かのUFOタイプの物が用いられたであろうが、地球人には開示していない(ヴァル様)。魚の宇宙服を着て、ドゴン族との交流があったのはオアネス(二ビル星人)で、古代(前十五世紀頃)にも地球を訪れていた、とミカエル様からお話が有りました。(二〇〇五年三月三一日記)
- 水棲人/半魚人を装った宇宙人オアネスが交流したドゴン族について
- 西アフリカの(元フランス領)スーダン、バンディアガラ高原に十三~十六世紀に掛けて定住、現在マリ共和国と命名、荒涼とした大地で、年間雨量は殆ど無し。泥とわらの民家の集落が在る。凡そ二百万人で現在も変わらぬ原始的な暮らし。しかし天空宇宙人(海から現れた半魚人スタイル)に与えられた高度の天文学的知識とその宇宙人をノンモと呼び神と崇める秘儀、信仰を維持しているとの事。所で確認されていないシリウス第三の星“エンメ・ヤ”や“ニヤン・トロ”はオアネスのからかいで、存在しない星だと言われます!
フランスの人類学者マルセル・グリオール博士他の二十年に亘る調査により、オアネス別名ノンモは、八・七光年離れたシリウス星系から飛来の宇宙人であり、日本を一八〇三年春、江戸時代に初めて訪れたお釜型UFOの女性パイロットもシリウス人と同恒星系の訪問者でした!(※シリウス系UFOは小型です。)
現在千乃車にお客様として居られるシリウス星の方は、十九世紀に茨城県の原舎浜(はらとのはま)に漂着の前述のUFOパイロットと同星人です。(※もしかしたら、羽衣伝説、天女伝説は、シリウス星人かも … 。だったら、日本人にそっくりだということなのでしょう。)
シリウス星といってもシリウスA星は太陽の如き物。伴星の天体望遠鏡を用いても見えないシリウスB星は、光度が太陽の四百分の「直径が地球の二.三倍の約三万キロ。シリウスAは太陽の二倍弱。表面温度は約一万度、中心温度は約二千万度、全天で一番明るい赤い星であり、シリウス系の太陽の役割を果たしています。
何故赤いかと言うと、我が太陽の如くにガス体では無く、岩石惑星の如くに鉄分を多く含み、燃焼率高く、超高温の星である事、伴星のシリウスBは密度が水の十二.五万倍以上も有り、(太陽は水の十一.五倍の密度)死期が近づき、高密度と成った恒星「白色燻星」とされています。
シリウス星系に人類の生存可能な惑星又は衛星が有るのかと伺いましたら、残念ながら無い。近縁の温度も密度も低い、いわゆる地球型の惑星と月型の衛星若しくは、木星の小惑星帯並みの衛星に人類が住んでいると言われました。
シリウス星系の人類は早くから、生存可能な星に定着を求めて、B星からは離れ、A星の熟と光による恩恵を受けて生存している人達で有り、我が太陽系に移住を計画して居られた。プレアデス系もオリオン系も宇宙年齢が老齢化して来るに連れ、我が太陽系を楽園として飛来、調査して居られたのが、地球の終焉も(※このままだと)十年程度のものと判明して、新たに地球人類と共に別の星へ旅立つ準備をして居られるのです!!プレアデス星団はニビル星を介して遠く地球人類の祖でも有りますが、その方達、オリオン星の方達、火星人類、総ては同盟星の方ばかりです。
1.最初の生命体は知的生命体だった
宇宙の初期、均質なエーテルだけが存在していた。ある時、エーテル波動が少しだけ紐解かれ、前回の宇宙に存在していた意識の波動が、おそらく宇宙の中心付近に現れた。ドゴン族ではこの意識を唯一神アンマと呼んでいるので、中心は方々に存在していたのでしょう。例えば私たちの銀河のアンマは琴座にたった一人でエーテル、意志を伝える相手や他の生物もいないので、言葉や口や内蔵や手や足も無かったし、必要もなかった。
しかし、アンマはエーテル波動に内在している自分自身の意識を紐解きたくなったし、話し相手が欲しくなった。そこで、物質宇宙が膨張し始めた。アンマはエーテル粒子を固めて、原始惑星を作った。惑星の大地は現在のような陸地ではなく、まだ個体ではなく、エクトプラズマのようなものだと考えてください。この惑星はエーテル粒子を吸収し、これを紐解き周囲に熱と光を放散し始めた。この時から光と熱が生まれ、アンマには目と簡単な身体を構成した。この時点で原始惑星が発生していた光は、地球に降り注ぐ日光よりも波長の短い紫外線領域だったので、目の色は赤かった。これは、冬になると紫外線が増え、この紫外線を利用した光合成を効率的に行うために、緑の葉が紅葉することから、推測しました。
大地に漂うエクトプラズマは自己増殖、自己組織化をはじめ、放っておいても長い年月を経て生命が発生したかもしれません。意識の波動(エーテル波動)が紐解かれると、全く同じ電磁波が対で生まれるため、これが種になり、全く同じ双子が生まれなければならなかった。しかし、神話ではアンマの長男である不肖の息子(狐)は単身で生まれてしまった。更に、アンマからは、双子のノンモという正常な精霊が誕生した。思うにこの当たりは、日本神話とそっくりです。
神話で言うノンモは精霊と同じ意味です。精霊とは、エクトプラズマの肉体を持つ生命体のことです。ノンモは全く同質なので、自分の意志を相手に伝える必要はなかった。寿命は永遠だったし、重たいものを持つ必要もなかったので、四本の関節のないなめらかな手足であり、おそらく全骨格は四肢も含め背骨のような構造の小さな柔らかい軟骨でできていたと推測されます。知的なため上半身は人間で、歩く必要がないので下半身は蛇、蛇のように割れた舌、人間のように切れ長の赤い目、そして体は緑で植物の発生を予示していたという。つまり、アンマ一人の時よりも、周囲にエクトプラズマレベルの環境があり、光があり、本当に単純な言葉を発する口があった。また、下半身が蛇のようであったというのは、遺伝子を有する生命体ということでしょう。
このように、環境が変わるとそれに応じて、ノンモの形態は少しづつ変わっていくのですが、このような発想は人類の進化論的な発想です。そうではなくて、ノンモのうちにすべての折り畳まれたエーテル波動があり、この中に動植物や他の生命の記憶があるので、ノンモがエーテル波動を紐解き変身する時、環境が変化し、双子のように別の生命が誕生するのです。例えば、蒙古斑の原因だと思われる緑のノンモが、白いノンモに変身すると、同時に緑の植物が生まれ、ノンモの方は穀物を食べることができるように手の機能が向上し、口と歯が生え、内蔵も草食用の機能を持つことになります。つまり、宇宙にあるものは、すべてが双子で生まれてきており、元々兄弟だったということを神話は伝えようとしている。
2.最初の悪魔と人類型生命の発生
狐は言葉を手に入れたくて、大地に潜り込んだ、エクトプラズマを身にまとい体を変身させ言葉を手に入れることに成功したが、大地は破壊され双子を生むことができなくなってしまった。霊媒師がエクトプラズマを吐き出し、霊体がこれを引きつけて物質化することができます。そして、エクトプラズマを外から取り入れ取り替えることで、精霊は永遠にいきることができるし、変身が案外簡単なのも理解できるかと思います。
これを見たアンマは、他の星の大地にエクトプラズマの発生場所を男女用に二カ所設けた。そして、人間の最初の男女が生まれた。人間は陸生であり、手足が必要だった。だから水棲の魚が双子として生まれた。つまり、人間と魚は双子だった。しかし、このころの人間は永遠に生きていて、かつしなやかな手足と水掻きがあったとのこと。
神は、狐が一人で寂しかったため犯した罪と同じ事が起こらないように、人間の男女を両性具有として誕生させた。この時点で、生命は自分自身で子を作り生むことができるようになったのです。双子のノンモは全く同質なので、子孫を増やすことは永遠にできなかった。とにかく、年長の四人が男で残りが女の八人の人間が生まれ、最初の二人がドゴン族の祖先に当たるという。そして、この八人が各々八人ずつ子を産んだといわれています(各々の八人の始祖には性格や役割があり、これが八卦やカバラ数の起源であるように思います。というのも、例えば、八人の始祖から各々対で四組の男女が生まれているので六十四。女の数は四、男の数は三であり、両者の合計七が完全性を表すなど、数値の一~九までを神話の中で、説明している。つまり、ノアの大洪水時に生き残ったノア夫妻と、その家族のことを意味している思われます)。
しかし、人間は双子のノンモのように全く同じではないため、補い合う男女に分かれ、社会性が生まれ役割分担が生まれた。そして、狐のような悪事が再び行われないように、双子のノンモは自分たちが生まれた大地を修復し、守るために天から降りてそこに定着した。一方、最初の男女は双子のノンモが守る大地に入り、ノンモ(以後、大ノンモと呼びます)に変身し、天に昇っていった。つまり、ノア夫妻は死後霊体になり、天上界に昇った。
しばらくすると、八人の始祖もそれぞれ大ノンモと同じようにノンモ(始祖ノンモと呼びます)に変身し、天に昇っていった。始祖ノンモは、大ノンモの命令で、単独で暮らすこと、食料としての八種類の穀物を与えられます。この時点ではまだ草食で、狐のような野生動物はいたが、鳥や家畜などはまだいなかったので、砂袋があったとのこと。そして双子性から、穀物には、砂袋も含めた八種類の内蔵が対応している。更に八人の始祖からなる四組には、変身の度事にそれぞれ動植物が双子性で生まれており、北の昴は人間と魚に、南のオリオンの三ツ星は家畜に、東の金星は鳥に、西の大きい尾(オリオン座の剣に当たる部分の星)は野生の動植物と昆虫(植物と昆虫は双子)が対応しているので、各星の始祖となったのだと思います。つまり、琴座→プレアデス→二ビル星→地球へと知的生命体は旅をしたと云うことを意味しているのでしょう。
狐の姿で象徴されている不肖の長男が、最初のサタンでしょう。一番目と二番目の始祖は大ノンモとの約束を破ってしまい、天に居づらくなり地上に降りることにしました。そのときに火を含めた人間に必要なものを天から持ち去ったのです(なんだかプロメテウスの火の物語にも似ています)。残りの始祖ノンモもまた地に降りることにしました。
一番上の始祖ノンモが地に降りるときに落下してしまい、腕と足が折れそこが関節となり、しなやかな四肢から関節のある大地で仕事を行うことができる人類型が生まれたのです(「生物は重力が進化させた」によれば、水棲の動物が陸に上陸したときには、苦しくてのたうち回り鰭が折れ、そこが関節となり、血液が激しく循環し肺呼吸ができるようになったとあります。)。そして、天から持ち込んだ食物が地にもたらされ、人々の進化を早めることになっていた。
ここから言葉が発達し、機織りの技術や文明が本格的に発展していくことになります。そして、この人類型のアヌンナキが、人類の始祖になるのだと思います。エンキは魚でプレアデスと、エンリルは牛なのでオリオンの三星と関連があった。また、蛇はシリウスやDNAを意味しており、そこから生命が発生したことも意味しているのでしょう。
3.まとめ
神話は言う「機織りで必要なのは、物質的な行為と、霊的な力の同一性であり、というよりも両者の協力の必要性だったのである。」と。すなわち、霊的な変化と、身体の変化、これに伴う双子生命の発生及び、物質的な行動とが相互に関連し、生命が生まれ助け合いながら、人類には文明が発達してくるということだ。また、更に考えれば物質こそはエーテル波動の紐解きを行う場であり、生命にとっては母親に相当するといっても間違いではない。
すなわち、永遠性の双子の原理から、生命は皆兄弟であり、物質も含めて全体で一つなのだ。生命界の姿形行動、知性の動きは、双子の片割れである物質界に反映されており、お互いに別れ難く結びついているのです。
しかし、事実はどうあれ我々人類は、このことを直観的には知っているのですが、ノンモのように体で体験できないため、知性により実社会の中で一つ一つを納得し学んで行かなければ、努力しなければ体験できないし納得することもできないのです。これは双子の原理により、宇宙が種々の生命にまで進化したからでした。そのかわり、人類には強力な脳神経が与えられており、神話では人間と魚以外の他の動植物では、全部で十段の階段はすべて埋まっているのですが、人間と魚の階段だけはまだ六段目以降が空いてることから、これからも更なる進化が可能だという事だと思います。また、六段目が神話の宇宙モデルで言えば宇宙の内部への入口であり、その中心はノンモを生んだ場所であることから、人類もまたノンモへと進化すべく運命づけられているのかもしれません。
加えて神話によれば「人間の死の定めは、死者を表す木像や、さらには人手にかかって非業の死を遂げた動物の仮面の彫刻という形で、芸術の発生に道を開いた。さらに、集団のみならず、個々人もそれぞれの役割を担うことになった。人間一般としてなすべきことはそのまま残しながら、罪というものが個人の責任として認識されるこの新しい秩序の維持と贖罪の務めを、一人一人の責任とした。」。これは、ラグエル様が天国の扉の中で「エル・ランティ様はイエス様の十字架上の死を通し、人類の罪の購いを通して、一つの取捨選択の自由をお与えになったのです。善と悪との取捨選択の自由と魂の成長の機会をお与えになったのです。・・・人類が償わなければならぬものは各々の生命で以てしか無いのです。」と述べておられる内容と、遙かな時を経ても酷似しています。つまり、ドゴン族神話は水の聖霊を頂点とする二ビル星人(エンキ)により伝承されたことを意味し、結局は狐から始まる悪と戦い続けておられると考えます。
補足:言葉は精霊を呼ぶ
ドゴン族の言い伝えでは、名前が呼ばれると、その名を持つ事物あるいは存在が呼び出されるという。同じことが封印されたモーセの書の中にも書かれており、更に神を呼び出し、自分の願いを叶えさせる方法が書かれているという。しかし、ドゴン族の習慣では、精霊を呼び出す行為は無礼な行為であり、決して水の精霊の名前を口にすることがない。同じことですが、決して絵に描くこともないという。十戒や日本の伝統とそっくりです。
4.ドゴン族神話の概略の紹介
これから、神話を抜粋しますが、ドゴン族の司祭である老人が民族の神話を白人の研究者に伝えた内容です。村の生活は、司祭や家の形や職業や村の形の隅々までもが、伝説に関連していることが分かります。だからこそ、太古の伝承がこれまで間違われずに伝えられてきたのだと思います。
◇ 星は、唯一の神アンマが虚空に向かって投げた土の玉から生じた。
しかしそれより先に彼は、ずっと複雑な技術を用いて太陽と月を作っていた。
それは土器の技術であったが、神が最初に発明したものだ。
太陽というのは、ある意味で完全に白熱した土器であって、まわりに赤い銅
の螺旋がついている。月も同じ形をしているが、その銅は白くて、満ち欠け
に応じて少しずつしか暖まることができない。
黒人は昼間の照りつける太陽の光から作られた被造物であるとすれば、白人
は月の光の下で作られたのであり、そのため彼らは幼虫のような外見をして
いると指摘した。
◇ 神アンマは、腸詰め状の粘土を取り上げると片手で握りしめ、星を作ったと
きのように投げつけた。粘土は平らに広がって、上の方つまり北に達したし、
下の方つまり南にも、東西の方にも延びていった。つまり、中央にかたまっ
ていた手足が四方に広がっていった大地は、身体である。そしてこの身体は、
南北の方にあおむけに横たわっている女なのである。アンマは一人で居たの
でこの被造物に近づいていく。
◇ 神が近づこうとしたとき、被造物は起きあがり立ちはだかった。そのままで
は交わりはおこらないだろう。
しかしながら、神は全能である。大地と交わる。けれども、この原初の出来
事から事物の進行は永久に決定づけられることになる。不吉な交わりから生
まれたのは、予想された双子ではなく、単独の存在であるThos aureus' つ
まり狐である。
◇ 神は更に妻と交わりをもったが、今度は彼らの交わりを邪魔するものはなか
った。水、すなわち神の種はこうして大地の胎に入り込み、規則正しく双子
が生み出されることになった。二個の存在が形づくられたのである。「神は
それをいわば水から作った。それは緑色をして、人間と蛇の姿をしていた。
頭から腰までが人間で、下半身は蛇だった。水掻きのある手。四本の手足。」。
赤い目は人間のように切れ長だったが、その舌は蛇の舌のように二又に分か
れていた手はしなやかで間接がなかった。体全体が緑で滑らかで、水の面の
ようにすべすべしており、短い緑の毛で覆われていた。それは、植物と発芽
の予告だった。
◇ ノンモというこの精霊は、それゆえ神と同質な二人の子であり、彼のように
神の種を持ち、大地に平穏にはらまれ、そこで正常な発達をした。それは定
めに従って天に昇り、そこで父から教えを受けた。
しかし神は<ことば>、これこそ宇宙全体のシステムと同様、あらゆる存在
にとって不可欠のものであるが、言葉を教える必要はなかった。というのも
一対の存在は、完全かつ完成したものとして生まれた。その八本の手足によ
って、それは言葉の象徴である八という数を持っていた。
◇ この存在は、神の種から生まれたのだから、神の精ももっていた。神の種は
世界の生命力を宿すものであり、その形式であり素材であり、存在における
運動と存続の物である。そしてこの力というのは水のことである。この一対
の存在はあらゆる水の中に存在し、水そのものである。
◇ ノンモは空の高みから、彼の母である<大地>を見下ろした。それは裸で言
葉を持っていなかった。このことはおそらく、神アンマとの交わりのときに
生じた最初の出来事の結果だったのだろう。この無秩序の状態を終わらせな
くてはならなかった。ノンモは、天で作られた植物から取った繊維をもって
大地におりた。そして自分の十本の指に応じて十つかみの繊維に分けると、
それをなって、前に五本、後ろに五本置いた。
◇ 事実、神を欺き、失望させる息子である狐は、言葉を手に入れたくて、これ
を帯びている繊維に手をかけた。つまり母親の衣装に手をかけたのである。
このことは重大な結果を引き起こした。狐に言葉をもたらしたが、このこと
によって彼は永久に、神の未来の構想を占い師に伝えることができるように
なった。
◇ そこで神はこの妻に背を向けて、自分の手で直接生き物を作り出すことにし
た。湿った粘土で母体を型どり、大地の上に置くと、彼は空の高みから小さ
な玉を投げつけてその上に被せた。男のについても同じことをした。
直ちにこの二つのかたまりは形を整えていった。彼らの生命は広がっていき、
手足は中心から分かれ、身体が現れ、一組の人間が土くれから生じてきた。
◇ 二人のノンモが新たな使命を帯びて登場してきたのはまさにこのときだった。
彼らは双子の誕生という基本的な定めが廃止されることと、そのことから、
単独で生まれた狐の過ちに似た過ちが犯されかねないことを予想していたの
だ。神の初めての息子は、孤独が原因でそのような行為に及んだからである。
◇ こうしてすべての人間存在には、その始まりから、二つの異なった性の魂が
与えられることになった。
けれどもノンモはその先見の明によって、このような苦肉の策が適切なもの
でないことを知るだろう。人間の生き方は、このような二十の存在に順応す
ることは不可能である。一人一人が、外から分かる性の生き方に固定される
ことが必要だったのだ。
それでノンモは男に割礼を行った。すると「蛇でも虫でもないが、蛇と一緒
に分類される」生き物に変身した。この生き物は死者を覆う布のような黒白
模様のトカゲの一種だった。この名前は同時に、女の数である<四>と、女
の本質である<太陽>を意味している。女性の場合には、サソリが生まれ、
その針の毒は産みの苦しみの血と水だった。
◇ それから男は妻と交わった。後になって彼女は二人の子供を生んだが、それ
はドゴンの人々の始祖となるべく続けざまに生まれてくる八人の子供のうち
の最初の二人だった。
年上の四人は男であり、他の四人は女である。しかし、彼らは、両性具有の
ため一人で身ごもることができた。
◇ さて、完全性に対する天の渇きはいやされることがなかった。しだいに父の
神にとって代わりつつあった二人のノンモは、救いの業を行うことを考えて
いた。
けれども人間の状態をよりよきものにするには、人間の次元で改革と教えを
導くことが必要だった。それでノンモは<大地>におり、自分の出てきた蟻
塚の中に入り込んだ。こうして二人の男女のノンモは、自分たちより先に生
まれて罪を犯した狐が再び起こしかねない企てに対して、じかに母親を守る
ことを第一の任務とした。
◇ こうして二人のノンモは、神に代わって、その許しを得て、再生の業に取り
かかった。
最初の人間の祖先から生まれた八人の始祖は無限に生き続けた。彼らはそれ
ぞれ一人で生殖して、八組の異なった子孫をもうけた。
しかし時の経過とともに、ある訳の分からない衝動に駆り立てられて、一
番上の者が双子のノンモの住まう大地に潜っていった。
地上の条件から解き放たれた、この始祖は、生まれ変わりをもたらす二人の
ノンモによって新たな務めを負わされることになった。始祖は胎児のように
体を丸めると植物の芽のようになり、神の種であり二人の精霊である水の本
質を獲得した。言葉と水によって完成された新たな精霊は、大地の穴から吐
き出されると天に向かって昇っていった。
◇ 大地の中で他の始祖と同じように水であり精霊であるものになった。七番目
の始祖が大地の中で習ったのはこの言葉だった。
第一の言葉のように少数の人間に限られることなく、すべての人間に与えら
れる。そのため、この言葉は世界に一つの進歩をもたらすことができた。と
りわけそれは、神の悪しき息子狐に勝ることを可能にした。
大地の中で、唇が口となって広がった。尖った歯が生えてきて、上下の唇に
七本ずつ現れた。ついで十本、つまり指の数になり、四十本になった。最後
に八十本になったが、それは一人の始祖につき十本ということである(舌の
先は二又に分かれていた)。
◇ 七番目の始祖は言葉を、大地の化身である蟻にこれを伝えた。
精霊に変身した七番目の始祖は八十本の綿糸を太陽の光のもとに吐き出し、
顎をあけたり閉じたりしながら、機を織った。
機織りで必要なのは、物質的な行為と、霊的な力の同一性であり、というよ
りも両者の協力の必要性だったのである。
◇ 八人の始祖が穴の中に潜っていくまで、人間は地面に縦穴を掘ってそこに住
んでいた。だが蟻塚を見ている、彼らは蟻塚の方が自分たちの家よりうまく
できていることを知った。そこで彼らは蟻塚をまねて地下道を開き、雨を避
ける部屋を設け、採集してきた蓄えを納めていった。こうして人間の生活は、
最も原始的な段階から一歩踏み出したのである。それゆえ、第二の教えが与
えられたときには人間は穴ぐらの中に住むようになっていた。
◇ 八人の始祖はノンモに変身した後、ノンモへの変身をもたらした二人の年長
のノンモが統括している天の区域に至ったのだ。
二人のノンモは変身した八人の始祖を天に迎えた。そこでこの二人は込み入
った規則のうちに八人を組織していった。中でも重要なのは、彼らをへだて、
互いの交際を禁止したことだ。
神はこの八人に食物として八種類の穀物を与えていた。この穀物に関しては
一番目の始祖が責任者だった。彼は八つの穀物の内の最後のものであるディ
ジタリアを、あまりに小さく調理に手間取るという理由で公然と嘲っていた。
けれども危機的な時期がやってきて、最後の種子を除くすべてのものが食べ
尽くされてしまった。そこで一番目と二番目の始祖が集まって、この最後の
蓄えを食べることにした。この行為は、契約に違えることによって最初の過
ちを犯したからである。そしてこの二人の始祖は天の世界に対して不浄とな
った。つまり、天の生命と両立できない本質を持つようになったのである。
そこで彼らは居心地の悪くなったこの世界を離れることに決め、他の六人も
連帯して同じ気持ちになった。そのうえ彼らは、地上で再び出会うことにな
る人間に役立ちそうなものすべてを持って逃げることにしたのである。
◇ 一番目の始祖が出発の準備を始めたのはこの時だった。それはおそらく神の
恵み深いまなざしのもとで、そしてたぶんにその援助を受けて行われたので
あろう。
彼は口が丸く、そこの四角い籠を受け取った。彼はこれをひっくり返して、
そこが丸く、口の四角い巨大な籠のモデルの骨組み(直径二十尺の底、八尺
四方の屋根の部分、高さは十尺)を作った。そして、天の土で作った壁土を
塗っていった。屋根の四辺の各辺の中央から東西南北に向けて十段の階段を
作った。北の階段の、下から数えて六段目のところには、中に入ることがで
きるように戸がもうけてあった。そしてこの建物の内側には、二段に分かれ
た八つの部屋が仕切られていた。
こうして作られた大きな建物は、象徴的には次のような意味をもっていた。
-丸い底は太陽を表す。
-四角い屋根は天を連想させる。
-屋根の真ん中にある円は、月を形取っている。
-階段の一つ一つの踏み段は女であり、その背の部分は男である。
この四つの階段は全体として、八人の始祖から生じる八十の家族を予示
している。
それぞれの階段は存在の一カテゴリーを乗せ、一つの星座と関係を持ってい
た。
- 北の階段は昴に対応し、人間と魚を支えている。
- 南の階段はオリオンの三ツ星に応じ、家畜を乗せている。
- 東の階段は金星とかかわり、鳥が占めている。
- 西の階段は、<大きい尾:オリオン座の剣に当たる部分の星>と
関係し、野生の動植物と昆虫を担っている。
西の建物を占めているのは野生動物だった。一番上の段から順に、かもしか、
ハイエナ、二段に分かれて猫科の動物、蛇とトカゲ、猿、ガゼル、マーモッ
ト、ライオン、象の姿が見えた。六段目からは、バオバブの樹を始めとして、
ラネア・アシダに至る植物が現れていた。そしてそれぞれの木の上には、今
も普通に見られる昆虫がいた。
◇ 南の階段の上には家畜がならんでいた。最初の段には鶏がいて、ついで羊、
山羊、牛、馬、犬、猫がいた。八段目と九段目にいるのは亀の類だった。
そして最後の段にはいえネズミや野ネズミがいた。
◇ 東の階段は鳥に占められていた。最初の段には大型の猛禽と犀鳥がいた。
二段目にはラクダやコウノトリ、三段目には小型の野雁とタゲリ、そして
四段目にはハゲワシがいた。続いて小型の猛禽とサギが来て、七段目に鳩、
八段目に雉鳩、九段目にアヒル、更に最後の段には白と黒の大型の野雁が
いた。
◇ 北の段を占めているのは人間と魚だった。最初の二段には漁師の男が一人
ずつのっていて、それぞれのへそにくっついている魚が一匹ずつ足の間に
ぶら下がっていた。魚の鰓の間に男のヘソが挟まっていたのであり、それ
で魚はすっかり男の腹の外に出ていたのだった。しかも魚はまさに男の腹
の中に入ろうとしていたのだ。このヘソの緒が示しているように、両者は
双子の兄弟である。
続く二段には、同じように魚をぶら下げた二人の漁師の女がいた。五段目
には漁師の女が一人でいた。それからあとの五段は空だった。
◇ 階段のついたこの建物全体が<浄い大地の穀倉>と名付けられている。そ
れは上下に四つずつ、合わせて八つの部屋に仕切られている。入り口は北
の階段の下から六段目のところにあって、いわば口のようなものであり、
穀倉の全体は腹のようなもの、つまり世界の内側なのだ。
これらの部屋は、八人の始祖に神から与えられた八つの種子を一つずつ納
めていた。順に、小さいひえ、白いひえ、日陰のひえ、女のひえ、いんげ
ん、おくら、米、ディジタリア、である。
また、これら八つの部屋は、水の精霊の主要な八つの内蔵の象徴にもなっ
ていた。この精霊の内蔵は人間のそれと良く似ていたが、砂袋が余分にあ
った。というのは精霊は鳥のように素早かったからである。これらの器官
は順に、胃、砂袋、心臓、小さい肝臓、膵臓、腸、肝臓、胆嚢である。
こちらの器官はすべて骨格を象徴する内壁や仕切で支えられていた。そし
て平屋根の四隅まで四本の柱はその手足だった。こうしてこの穀倉は、あ
たかも太陽である背を下にして横たわり、手足で空を象徴する平屋根を支
えている一人の女のようだった。
原初の穀倉の内に凝集した宇宙は一つの身体であり、しかも食物を飲み込
んで生命にあふれた身体だというのである。
参考文献:
[水の神(ドゴン族の神話的世界)] セリカ書房 坂井・竹沢翻訳
[生物は重力が進化させた]講談社ブルーバックス 西原克成著
以上 '99/12/06-12/16